ミケランジェロの秘密
穏やかそうな作品からは想像が出来ないですね。
少しびっくりしました。
同時代の人の数々の証言から、かっとなりやすい性格だったことがうかがえる。その性格のため若い頃はけんかも多く、あるとき顔を殴られて鼻が曲がってしまった。このためもあって容姿に劣等感を持ち、さらに気難しい性格になってしまった。
女性には余り関心がなかったようであるが、既に老年に入った1535年に、ヴィットリア・コロンナ(1492-1547年、ローマ貴族のコロンナ家出身)という未亡人と知り合い、友情を交わすようになる。ヴィットリアに捧げるソネットを数多く作り、「最後の審判」に描かれるマリアはヴィットリアがモデルだといわれる。ヴィットリアが自分より先に亡くなると、ミケランジェロは大いに嘆き悲しんだ。
仕事に取り掛かるのは遅いが、いざ始めると周囲が驚くほどの速度で仕上げたといわれる。
彫刻の題材をどうやって決めるかをたずねられた際、「考えたこともない。素材が命じるままに彫るだけだ」と答えた。
サン・ピエトロのピエタ制作時、当時の枢機卿から「マリアの姿が若過ぎる」と批判を受けたが、それに対し、「罪ある人間は歳をとるが、無原罪の聖母は常人のようには歳をとらないのだ」と答えている。
システィナ礼拝堂の天井画の製作は大変な重労働であった。上を向いて首を曲げた格好で製作を続けたため首の骨が曲がり、滴る絵の具が目に落ちて視力を損なってしまったという。
製作初期の段階でユリウス教皇に「完成はいつ頃になるのだ」と聞かれたところ、連日の製作に疲れていたミケランジェロは苛立ち、「私が『出来た』と言った時です」と返答した。これに対し、気の荒いことで知られた教皇は「早く完成させないと足場から突き落とすぞ」と言い返したという。
異常なまでにダ・ヴィンチを嫌っていた。同じ絵に一緒に描かれるのも嫌だったらしく、ラファエロの代表作『アテナイの学堂』にアリストテレス(ミケランジェロ)とプラトン(ダ・ヴィンチ)が並んで描かれているのを知ると、激怒して自分をモデルにした人物をプラトンから遠ざけるように描き加えたという。貴族的な生活をして「万能の天才」と名声が高かったダ・ヴィンチと、庶民的で頑固な努力家だったミケランジェロでは、気が合わなくて当然とも言える。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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